今日は
母の日でした
沢山のお客様に
来店していただきました
【こどもの日】
【母の日】
【父の日】
この母の日は
麒麟屋で焼肉!
間違いないと思います
( *´艸`)
日頃のお母さんへの
感謝の気持ち
やねぎらいの気持ちを
皆が大好きな焼肉を
ワイワイ食べる
最高じゃないですか?!
羨ましい限りです
(≧▽≦)
私の母親もまだまだ健在で
元気でいてくれてます
私の母親
この道45年の大ベテランで
現役の【大女将】です
私たちとアルバイトスタッフを
裏で支えてくれる
お母さんです
少しは楽をさせてあげたいのですが
とは言っても本人も中々引退する気は無さそうですがww
私が生まれた時にはすでに
焼肉麒麟屋で
馬車馬のように働いてくれて
私たち兄弟三人を養ってきてくれました
超超スーパー頑固者の父親
と一緒に
相当苦労しながら
育ててくれました
お客さんからも
メチャクチャ人気があって
いまだに当時からの常連さん
に絶大な人気を誇っています
小さな体で
一生懸命にお客様に尽くしてきた
証しだと思います
本当に感謝です
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どうして麒麟屋が
45年も
続けてこれたのかを
考えてみました
木造長屋の一番端っこのそれはそれは
古くて狭い建物で営業していました
全部で6テーブルとカウンター席が4席
その頃は無煙ロースターもまだ
登場していない時代で
小さなロストル式の焼き台
で。。
両親が二人でやっていました
僕の記憶のある範囲では
道向かいの
機動隊さん達と
建設関係の人たちが
入り乱れて
メチャクチャ忙しそうだった記憶があります
僕は
今の麒麟屋がある理由が
3つあると思います
一つ目は
『磨くこと』
メチャクチャ綺麗に掃除していたこと
この大正時代の木造の建物で
とっても古い店内
しかも有煙ロースターで
換気扇が小さなのが3つあったけど
とてもとても
吸いきれてない
当然店内は一晩で
脂まみれになる
父親はその店内を
時間をかけて
毎日毎日磨きあげていました
これ、もし掃除ができていなかったら
おそらくベタベタした壁
天井からは脂がしたたってきて
余計にみすぼらしくなって見えていたと思います
二つ目は
『走り回ること』
母親が
満席の店内を必死で走り回っていたこと
自分で作った味噌汁や餃子からお肉まで
全部ひとりで配膳していました
その一生懸命に配膳してる
姿を見ると
お待たせしても許してもらえる
そんなレベルで走り回ってました
だからたくさんのお役様に
愛されてきたんだと思います
その3
『看板は財産』
今の時代に聞いたことあります??
休みがお正月の三日間のみ
の個人経営のお店
(>_<)
今思えばクレイジーです
いつ行っても開いてる
看板に電気がつかない夜は無い
ウチの父親が言うのが
看板は財産だと
『いくら閉店間際で暇な時でも看板は点けておけ、
今日は来店されなくても、次回店の前を通るときに
空いてるはずだと 思ってくれるから』
本当にバブルの時代に
浮かれずにコツコツしてきた
両親に感服します
昭和の人間の根性たるや凄いです
そのお陰で
今の店舗があります
25坪くらいで30席だったお店が
80坪 席数は60席
ロースターは無煙ロースターの高いヤツ
お客様同士の目線が合わないように
席の取り方もゆったりと設計して
無垢材の綺麗なフローリングで
和食屋さんのような雰囲気で
当時を思えばすこぶる贅沢
そして時代は
インターネット革命な時代
どんどん時代の流れが速くなって
どんどん歩んでないと
焼肉屋も取り残されていくような
時代です
両親と同じ営業スタイルは
とても真似は
できませんが
マインドだけは引き継ぐことが出来ると
考えています
引き継ぐのは
味だけじゃない
創業者のマインド(想い)
これが一番大事ですね
なんか重いブログになっちゃいました?
たまには良しとします
閉店後の厨房からは
以上です
(^^♪